私の鶯

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ずっと観たいと思っていた1943年の満映と東宝が製作した
満映最後の作品『私の鶯』のVHSを手に入れた。

日中戦争も終りに近い満州で、当時の金額にして約40万円
(現在の価格で約8億円とか)の製作費をかけて作られ、
製作にも16カ月をかけたという破格の規模の大作である
にもかかわらず、
1944年の3月に出来上がった時はすでに時局がそれどころではなく、
満州でも日本でも公開されることがなかったという幻の映画だ。
そのフィルムが1984年に大阪で発見され、東京の安田生命ホール
で上映され、主演の山口淑子さん(当時の李香蘭)ですら、その時に
初めて観たらしい。
ただ、そのフィルムは本来なら2時間のフィルムが1時間と少しに
カットされていたそうだ。
その後、東宝の倉庫で101分のものが見つかり、ビデオ化される。
私が手に入れたのはそのビデオである。
映画研究者の門馬貴志さんによると、セリフの大半のロシア語と
少しの中国語の日本語字幕はフィルムではなく、この時につけら
れたものだということだが、読むと非常に古い日本語表記と単語
の使い方なので、字幕原稿そのものは戦前に用意されていたもの
ではないだろうか。

李香蘭主演作は、いわゆる大陸三部作と満映と松竹の合作の
『迎春花』を見ているが、それらのいかにも当時の日本に都合の
いい映画と、この『私の鶯』は確かに一線を画していて面白い。
なんというか、日本映画でも中国映画でもない、かといって
ソビエト映画ではもちろんない。
あえて言えば非常にコスモポリタンな映画というかなんというか
満州時代のハルピンでしか撮れなかった映画といえばいえるかも
しれない。

チチハルかどこかの日本の商社の支店長の娘に生まれた李香蘭
が(そもそも李香蘭が日本人を演じるのも最初で最後だろう)
軍閥の戦闘から逃げる途中、日本人の父と生き別れとなり、
亡命ロシア人の元帝室歌劇団の団長ドミトリー(グレゴリー・サヤー
ピンというハルピンで活躍していたロシア人歌手が演じている)
の養女となる。
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李香蘭演じる満里子がハルピンのカフェで歌ったり、
野外音楽堂で歌ったりする歌も、
大陸三部作で歌う「支那の夜」といった日本の歌謡曲ではなく、
オペラのナンバーで(映画のタイトル『私の鶯』のそのうちの1つ)
ロシア人声楽家に歌を習ったという山口さんの経歴が生かされている。
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日本人の父も満里子とロシア人の養父の絆の強さを見て
2人をそのまま暮らすように言い、
病に倒れた養父は亡くなる間際に満里子に
「日本はすばらしい国だ。神の国だ。私が死んだら
日本に帰って日本人として暮らしなさい」と言う。
でも、最後のシーンで養父の墓前で歌う満里子の毅然とした
表情と確固とした目に浮かぶのは、満州に残って生きていく
という固い決意のようにも見える。
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そもそも日本人としてと言いながら、養父は満州事変の動乱の
時に、亡命者としての自分といては娘の身が危険だと考え、
満州服を買って着せる。日本の和服ではない。
このあたりの描写が非常に興味深い。
満州事変の際のハルピンの日本人自警団の描写も面白い。
日本の軍隊は自分たちを守るどころではないから
自分たち市民がハルピンの日本人を守る、などと言う。
もちろん、その後で結局は日本軍が入城し、
満州国ができるのだけれども、
要所要所で国策的表現をとりながら、製作者たちのギリギリ
の抵抗というのか韜晦がのぞく、あの時勢時局にあっては
たぶん珍しい作りの映画だと思う。

監督の島津保次郎は最後まで国威掲揚の勇ましい映画を
撮らなかったというし、製作顧問の岩崎昶はプロレタリア映
画を支持して日本で特高に捕まり、釈放後、満映に渡った
リベラリストだ。この人は上海で中国人の映画製作者たちと
交流し、戦前の日本で初めて中国映画の批評を書いて、
中国映画を紹介した人でもある。
原作は大佛次郎と、要は製作者たちが当時の日本のリベラ
リストたちで、彼らが日本では撮れない映画を撮った作品だ
ったといえる。

1937年に公開されて日本でも大ヒットをしたアメリカの『オー
ケストラの少女』のような映画をという意気込みもあったらし
い。当時の中国で唯一、西洋音楽の教育や普及がされてい
たというハルピンはそういう意味でも格好のロケ地だった。
劇場での歌劇上演やカフェでのオペラやダンス、
野外音楽堂でのコンサートなど、いずれも当時のハル
ピンで普通に行われていたそうで、そういう意味では
ドキュメンタリー的な要素もあるという。

個人的にはハルピンのさまざまな今も残る風景が残されてる
のも興味深かった。
中央大街となったキタイスカヤ通りも出てくるし
名前だけだがモデルンホテルの名も登場する。
アールヌーボーの建物や、公園の柵や、中国風の平屋建て
など、確かにハルピンに今も残る街の雰囲気が生き生きと
映しだされる。
横浜正金銀行の建物も出てきて、英語の看板が映し出される。
ここは現在は黒竜江省美術館で、副館長の私の義兄によると
地下室に堅牢な金庫があり、壊そうとしたがビクともしないので
今も使っているということだった。
この映画の主人公はオペラを歌う李香蘭と
中国北方のパリと言われたハルピンの街なのかもしれない。

山口淑子さんの伝記「李香蘭 私の半生」によると
監督の島津保次郎は助監督に
「日本は戦争に必ず負ける。負けるからこそ、よい芸術映画を
残しておかなければいけない。やがてアメリカ軍が日本を占領
した時、日本は戦争映画だけでなく、欧米の名画にも負けない
優れた芸術映画を撮っていたという証拠を残しておくために」
と言っていたという。
アメリカ軍が日本を占領するとか、戦前に卓見していた人が
どれだけいたか疑問で、どうも後日談的言説だけれど、
満州国が長くはないと感じていた満映映画人たちの遺作の
ような映画である。
満映は国策映画ばかりと切り捨てられない、貴重な証の映画
であると思う。














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