台湾フィルム・センターのシンポジウム

夕方からは青島東路にある国家電影中心へ。
ここは台湾フィルム・センターというのだけれど
フィルムはなさそうで、壁にずらりと台湾映画のVHSが並んでいました。
今日はここでまず『私の鶯』の上映があり、
その後、東京、上海、ベルリン、ロサンゼルスから
それぞれ登壇者が来て、李香蘭について喋り、
その後は『サヨンの鐘』を上映するというもの。

日本と違って、綿密に打ち合わせをするというのではなく
好き勝手にしゃべってくださいとフィルムセンターの所長。
なので本当にそれぞれが李香蘭について勝手にしゃべるという
まとまりのないシンポジウムでした(笑)

会場の研究者たちの発言を聞いていて感じたのは、
やはり日本人と台湾人の李香蘭映画理解の差です。
映画研究者であっても、これが李香蘭が演じた唯一の
日本人役ということは知らなかったらしく、
東京からの高橋さんがそう言うと、会場からは「ほう」という
驚きの声が上がっていました。

台湾の人たちの主たる関心事はやはり
李香蘭と台湾人で中華電影公司で働いていた劉吶欧のことで、
田村志津枝さんが二人は恋人同士だったのではとしたノンフィクション
「李香蘭の恋人」は、台湾でも出版されたらしく、みんな、それを
読んでいて、でも、そんなはずがないというのが台湾人の共通認識
なのだそうです。

会場にいた舞台の年配の演出家も私に、
「植民地の人間が日本人のスターと恋愛なんて当時は考えられない。
現代と違って、しょっているものが違うんだよ」と強調していました。
植民地だった台湾人の意識と占領国だった私たち日本人の意識との
間にはやはり大きな溝があるのでしょうね。

翌日、ホテル近くの映画館で話題のドキュメンタリー『湾生回家』を
見た時も似たようなことを感じました。
台湾で生まれ、少年少女時代を台湾で過ごした高齢の日本人たちが
泣くほど恋しいと台湾を慕う気持ちを語る映画で
これが私にはどうもピンと来ませんでした。

映画の人たちと同世代の私の母親も最近は昔話ばかりしているから
そういうものなんじゃないの、
私の母親は田舎にいつでも帰れたけど、
台湾で育った日本人はなかなか帰れなかったから、
余計思いが募るだけなのではと思うと、ちっとも身に迫ってこないのです。

でも、映画館の満席の台湾人観客は、笑ったり、中にはもらい泣き
の声も聞こえてきて、
台湾が恋しいという日本人を見る台湾人の気持ちというのは
たぶん私には分からないところがあるのだろうなあと感じました。
若い世代でも台湾好きの日本人は感動するかもしれないけれど。

原作を書いたのは田中実加さんという日本名があり、
本人は日本人の末裔と言っているそうですが
どうも台湾人らしいというのが彼女を取材した日本メディアの人たちの
話だそうです。

映画を見た足でタクシーで空港へ。
短いけれど、なかなか充実した旅でした。
特に中国や台湾の若い映画研究者たちと知り合えたのが楽しく、
台中の大学に短期講座で来ている上海戯劇学院の孫先生が
最終の高鉄でシンポジウムの夜、台中に戻るというので、
何人かで台北駅まで見送りに行き、電車を待つ間、中国映画について
喋ったのが一番楽しかった思い出です。
帰国すると、そのうちの2人から、
『新しい土』と『華麗上版族』についてそれぞれが書いた評論が
早速メールで送られてきていました。


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