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さて、老いてなお靖さんが凛として見えるのは、清潔感のある気品ある顔立ち のせいでもある。 若い時はさぞや細面の白皙の美青年だったことだろう。 当時の写真が見たいなあと思ったが、残念なことに、 文革の時に全部処分してしまったとのこと。 確かに、日本軍との高官との写真なんかがあったら大変だったろう。 「わしは、若い頃は"姑娘"と呼ばれていたんじゃよ。」と言う。 女の子のようにきれいだったということらしい。 靖さんが偉い人たちの理髪に呼ばれたのは理髪の腕もさることながら、 見目麗しかったということも絶対にあったと思う。 誰だって同じ呼ぶのなら、見た目のいいパリッとした理髪師がいいものね。 「21、2才の頃、東単の新開路にあった日本人が経営するカフェーの女給さんが 腕の痛みを訴えてたのを按摩してあげたのがきっかけで親しくなってねえ。 わしより1つ年上だった。多田さんと言うんだよ。 カフェーの向かいにあった銭湯のお客さんの理髪に行くたびに、 着物の袖に隠したお金をそっと握らせるんだよ。 嫁さんにもらえ、と言う人もいたが、さすがにそんな勇気はなかった。 ただでさえ、親日傾向があると言われてたからなあ。」 「そりゃ、日本人の奥さんをもらってたら、94までは到底生きてられなかったわねえ。」 「日本に帰国する時は彼女は泣いてねえ。」 「まだ生きてらっしゃるかもよ。会ってみたくない?」 「とっくに死んでるよ。わしより1つ上だったから、もう95だよ。」 「日本の女性は長生きだから、分からないわよ。 この映画を見て、靖さんだと分かったら、それこそ、映画の続編が 撮れるわねえ。」 「たとえ見たとしても、もう、わしだとはとても分からんよ。 こんなに老いぼれてしまったからなあ。」 「彼女たちもみんな日本では貧しい暮らしだったんだ。 帰国しても大変だったに違いないよ。 中国まで流れてきて働いてた日本人はみんな日本で貧しかった 人たちさ。 中国も日本も兵隊となって戦って死んでいったのも、貧しい庶民 ばかりだった。 だから、言うのさ。政府のお偉いさんとわしら庶民は別だって。 中国人も日本人も同じだよ。庶民はね。」 実は私は一昨日の早稲田大学での挨拶で、 靖さんが「中国人と日本人は一家人」と言ったのを外交辞令だろうと思って、 訳す時、ちょっと決まりが悪かった。 だけど、こんな話を聞くと、ああ、あの言葉は靖さんの本音だったのだなあと つくづく思う。 いい話である。 |
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素敵なお話ですね〜 |
sion 2007/12/03 11:21 |
理髪師は誰の髪も刈る、偉いお役人も車引きも、 |
マダム・チャン 2007/12/03 13:44 |
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